サイト共通メニューへジャンプ
会員向けメニューへジャンプ
News Letter Vol.013 電流協 新世代コンテンツメディア研究会セミナー
「電子書籍の新たな方向性について」
2014年5月28日(水) 14:00-16:00
日本教育会館 7階 中会議室(701・702)
コーディネーター
高野明彦氏 (国立情報学研究所 本研究会 座長)
パネラー
井芹昌信氏 (インプレスR&D代表取締役社長)
影浦峡氏 (東京大学教授)
松山加珠子氏 (ブックウォーカー「カドカワ・ミニッツブック」編集長)
仲俣暁生氏 (「マガジン航」編集人)
●高野明彦(たかのあきひこ)
本研究会の第二フェーズということで、6ヶ月にわたって6回の議論をしてきました。今日は、その7回目という感じで行いたいと思います。
●仲俣暁生(なかまたあきお)
この研究会には初めてお招きいただきました。フリーランスで編集者と物書きをやっています。2009年の秋からボイジャーを発行元として「マガジン航」というWebサイトの編集をしています。自分でも本を書いていますが、電子書籍に関しては読者・ジャーナリストとして関わってきました。
●松山加珠子(まつやまかずこ)
「カドカワ・ミニッツブック」というマイクロコンテンツレーベルを担当しています。紙の編集をずっとやっていて、「月刊カドカワ」の後に書籍編集、つばさ文庫という児童文庫の立ち上げ、BOOK☆WALKERストアなどに携わってきました。
●井芹昌信(いせりまさのぶ)
私は、第一フェーズからのメンバーです。電子出版の雑誌「OnDeck」の発行を編集長も兼ねてやっています。
アンパッケージドメディアのWebと本の両方を手がけました。その辺のことでお話ができたらなと思っています。
●影浦峡(かげうらきょう)
4人の中では唯一、大学で教育学部に属しています。電子書籍に関しては、読みもしない・知りもしない。それは、ひとつの視点を提供する役割を担わされているのかなということで参加をしています。
●高野
この、4名の方でどのような話が展開されるか想像もつきません。
まずは、パッケージ発想からの脱却についていかがでしょう。電子書籍の場合、編集時に考えること、決めることがずいぶん違う、自由度が全然違うと思いますが、それがパッケージにどのように影響しているでしょう。現在の電子書籍のパッケージは、可能性を充分トライできているのでしょうか。
●仲俣
いまの電子書籍は、紙の出版物に対応物を持っている場合が多い。デジタルファーストや小さなコンテンツも増えていますが、それ以外のコンテンツもありうるのではないか。パッケージという発想を破るとき、小さい方ではなく、むしろより大きくする方向で破るほうがいいように思います。例えば新書や、ラノベのレーベル・作家の全集等をサブスクリプションで読み放題にする、といったような。
●松山
小さい本を作っていると、それを12冊まとめて売ることもできます。小さいものは集めて合体させることができるので、そこはメリットだと思います。メディアミックスものをやったときに、全巻パッケージにするやり方が一番売れます。大人買いさせるのは重要です。電子は、本棚のスペースを取らないメリットがあるので、リッチコンテンツや全集などは有りだと思っています。
●井芹
いま言われたのは、読者側・買う側からみた場合で、それを全部含めてパッケージだと思えます。
パッケージかどうかは、まずポータビリティで持っていけるかどうか、ポケットにはいるか、人にあげられるかというところです。Webと比較するとよく分かりますが、Webを人にあげられるか。このWebを買ったけれど、どうぞと人にあげることはまずできません。リンクでひもづいているものは、アンパッケージです。パッケージドは、くるめるもの、ここからここまでですよと言えるものです。値段が付くのはパッケージドコンテンツだからです。Webのサイトに値段を付けるのは非常に難しい。
編集が機能するのはパッケージだからというところもかなり意味があります。Webサイトの編集と、パッケージメディアの編集は、根本的に違うと思います。
●影浦
井芹さんがモノを人にプレゼントできるかという話を出してくれました。最近気になっているのは、どうして線形代数の教科書があの厚さで済むのかということです。どんなにでも書けるはずです。あの厚さで済んだとき、少なくとも大学レベルでは情報がない部分を補完できます。そうした形で知識が回る。教育の場で知識が引き継がれています。それを読むことで考えることが可能になるようなパッケージとしての本と、考えることを可能にしないけれど消費として楽しかったり豊かだったりする本とは、教育学的な観点から分けて考えたいと思っています。
パッケージとその集合を考えるときに、教育向けと出版業種を分ける。集合としてどう捉えるかも、多少階層を分けた方がいいと思いました。
●仲俣
出版の仕事を30年間もやっていると、家に本がずいぶん貯まってきます。我が家には約一万冊弱という、一般家庭にはちょっと多い本があるけれど、商売道具なので手元に置いておかないと原稿が書けない。一冊の本を電子化するという話ではなく、まとまった量の「本」を電子化によってどう扱えるようにするか、という観点もあるべきだと思います。
●高野
経験を共有する単位という観点があります。「あれ読んだ? 面白かったね。」「デカルトのあの理論は知っているよね。」という、指し示す単位は社会的な運用の中で決められます。教育を受けて身につけると「単位」にもなります。
論文が電子化されていない時代と今では、知識を整理する、参照する、探すという単位は変容したのでしょうか。
●影浦
あまり変わっていないと思っています。私たち歳を取ってしまった人間は、ほとんどの場合にこれまでの体験に応じて、それを新しいメディアの操作に当てはめる。読む世界に入っている人たちが共有することと、読む世界にはいっていない人とどう共有するかという課題と分けて考えた方がいいと思います。
読む前から読む世界へ入るという部分をディスカバラビリティではなくエクスポージャーの問題として考える段階が次に来るかなと思っています。
●高野
いままでの大きな単位では本を読んでいなかった人が、塊を小さくすることによって読み始めるということが起きているのでしょうか。
●松山
基本的にはありません。書き手はあるのですが、すでにアーリーアダプターではなく、もう少しグッズ的な。何かちょっと読んで話題についていけるように、というぐらいがいいと思います。
●高野
まだ電子書籍というものが本格的に立ち上がっていないので、いまの傾向から全部を読みとるのは性急すぎるのかもしれませんね。
電子コンテンツ流通のための新しいプラットフォームができたとき、コンテンツを作る人、作家、クリエイターや編集者がどう変わりうるのか。従来プレーヤーじゃなかった人が、どんな形だったら参加できるのでしょう。
●仲俣
パッケージはコンテンツによって変わってくる。小分けにしても値段の付かないコンテンツもあれば、付くコンテンツもあるでしょう。Koboが出てきたときに、一枚だけの楽譜や絵などを売って批判されたけれど、本当に役に立つものなら値段が付くはずです。
それとは別の話ですが、最近「マガジン航」にニューヨーク在住のリテラリーエージェント、大原ケイさんの記事を掲載しました。もともと個人ブログに書かれていた記事に編集を加えて掲載させていただいたのですが、それがすぐに「ミニッツブック」さんから有料のショートコンテンツにもなりました。一つのコンテンツが、そうやって変化していくのも面白い現象だと思います。
●松山
cakesさんがnoteでは音楽やイラストなどを自由に値段を付けて売り買いができるようにしています。電子書籍は安いほうがいいというイメージができつつあります。基本的にお客さんはストアについていて、家電のように安くなっている店に行くという行為はしません。安くなるのを待つというシステムができてしまったという感じが怖いなと思います。
ミニッツブックをやって一番喜ばれたのは、200枚の原稿はすぐに書けないけど、2万字程度のものならば書けることです。書き手が増えると、競争が起きてクオリティが上がり、読む人も増えてくるのが理想ですね。
●高野
今日来る前に、二年前のこの研究会のまとめパネルの記事を読み直してきました。電流協のニューズレターで出ているものです。確か、井芹さんが潜在的な著者というか、著者になりうるぐらいの情報を持っている人のコンテンツを文字の形で引き出すのが編集者の重要な仕事だと話されていました。新しいプラットフォームにより、引き出し方の自由度が増したということなのでしょうか。
●井芹
文字数が少なくて商品ができるようになれば、単純にハードルは下がります。書籍の構造、目次を考えること自体が大変で、単純に作業量だけではなく、編集的にもハードルが下がる。この効果は非常にいい。
別の観点で、デバイスのことですが、電子書籍という言葉が浸透しているのかという問題です。業界が作り出したカテゴリとしてはいいのですが、商品・コンテンツのタイプとしてこれでいいのか疑問です。
●仲俣
「電子書籍」という言葉が世の中に普及していないのは、むしろいいことかもしれませんね。本当に普及するときは、サービス名で普及する。たとえばTwitterをやっている人は、別に自分が「ミニブログ」をやっているとは思わないでしょう。松山さんがストアにお客さんがつくと仰ったのはそれと同じことで、実際にユーザーが見ているのは「電子書籍」ではなくKindleやKobo。ところで、いまLINEマンガが売れているようですが、売る側としてはやはり強いプラットフォームにコンテンツを流したいですか?
●井芹
お客さん側からすると、目の前に見えているものが何かです。スマフォが見えていれば、スマフォでLINEという入り方が普通だと思います。ハードとは限らないし、ソフトウエアのインターフェイス、多分なんでもいいのだと思います。自分の一番身近にあるものから流行っています。
●影浦
新しいコンテンツについても、これまでの本に取って代わるものとして考えるのか、それに付け加わる別のものとして考えるのかというところでずいぶん違うと思います。
2000年かけて培ってきた、書物についての編集の知識が何だったのか充分に共有していません。編集者個々の方々の中にあって、それを捨てたときに私たちの知識がどうなってしまうのか。本に取って代わると考えたときに、では本とは何だったのかという問いに答えられていません。
いま、紙の本で編集してきた編集者の方々が、あらためて電子書籍がどうなるのかという前に共有して議論していただければと思っています。
●高野
最後のポイントは非常に重要です。編集者は著者から最初の原稿をもらって驚いて、目次を議論するところから始めて、本の構造を作り上げて初めて本になるのだと思います。
記事をいくつか集めて、ある程度まとまったアンソロジーのようなものを本のようにして流通させるというのは、従来の紙の本に仕上げていくプロセスのいくつかを飛ばしてしまう可能性があります。読者が読み解くためのインターフェイスを考え、目次を付けて、筋道・関係の地図とともに示すという行為がなくなるのならば、メディアとしての力が弱くなると思います。
●井芹
編集にすごく高度なノウハウがあって、編集者しか編集ができないということは思っていません。
編集という行為が、コンテンツを作っていく上で非常に重要だとは思っている立場です。最近のWebブログは、全部とはいいませんが、人気のあるものはコンテンツが洗練されてきていると思います。見出しどりであるとか、どうやって編集的な部分を取り込まれていったかというと、読者とのやりとりです。
編集者は最初の読者の代表として、こうした方がもっと読みやすいのではということを言います。ブログなどでは、本物の読者が編集者の役割をして著者はそのフィードバックによって、編集的な部分を取り入れた執筆が行われます。一種の編集装置の役割をWebは持っていて、ブログぐらいの初歩的なコンテンツであれば機能します。
編集という行為は非常に重要ですが、今後は電子書籍がそうしたものを取り込むとすると、読者とのやりとりも装置として持たないといけないと思います。
●高野
プログラムの世界でも、一人でコーディングして、自分でデバックして、自分が作ったテストプログラムを走らせて、これでいいかなと思えたらリリースするというモデルは昔の話になりました。プログラムの開発プロセスを小さなコミュニティで共有しながら進めて、皆が最初の評価者や批判者になることでソフトウェアの品質が高めるという仕組みがあります。
書籍についても、最初から質のいい読者を巻き込んでいくということはやっていいと思います。編集作業自身もコミュニティでやっていくというのもあるかもしれない。
●仲俣
これからのコンテンツはどのように生まれてくるのか、ということを考えたいですね。おそらくプラットフォームが編集の部分もどんどん自動化していく。プラットフォームがコンテンツの構造化を促し、自動的に生成されるWebの世界とも、人力で職人芸でコンテンツがきちんと作られていく本の世界とも違うのがいまの「電子書籍」の弱い点です。新しいコンテンツを生み出すうえで、送り手側と読者が滞留する場所、読者コミュニティがとても大事だと思います。
●松山
読者コミュニティというのはすごく重要です。私が最初やっていたのは雑誌です。雑誌は読者コミュニティがすごく発達しています。単行本は、作家のために作っているという状況も生まれます。児童文庫のように、自分が読み手じゃない場合は、読者にヒヤリングのリサーチを行います。思ってもいないところで、ここがダメだよと子供たちが言ってきます。読者が違うと全然違います。その読者の反応を見るというのをそこで初めて学びます。
電子書籍は、ユーザーの反応がすごくリアルです。紙の本はいったん作ると、取次に納品されて売上が立ちますが、電子書籍は日々、10冊売れたという積み重ね。ですから、売れると信じて作ったものが動かないと、動揺します。
出版社は文化を担う部分もあると思うのですが、商品としてユーザーがほしいものをいつも作っていたかと考えると、そうでもないような、反省すべき点があります。電子書籍は商品企画に近い感じがします。
●高野
EPUBのような電子書籍の一種類の基準で、Webが持っているような豊かな部分まですべて取り込むというのは不可能でしょう。電子書籍の中で全部解決するのではなく、コミュニティのコアになる場所を作って、それに補完させることも考えられると思います。
マルチプラットフォームのコンテンツとして、そもそも発想され、編集され、届けられるということが、もう少し考えられてもいいと思います。
サブスクリプションベースで、読む権利を買う、読んだ分だけ払うようなモデルももう少しあってもいい。「ニューヨーカー」という雑誌は、紙の冊子をサブスクライブすると、創刊以来のバックナンバーを全部電子的に読める環境が提供されます。歴史のあるひとつの雑誌全体を、パッケージと捉えて提供するモデルです。このような発想も試せたらと思います。
●井芹
国立国会図書館の所蔵古書ライブラリがWebに公開されてだれでも読めるようになっています。その中で、著作権が満了しているものというのがあります。それに関しては、ビジネス用途などいろんな用途に利用していい。それがうまく商品化できると思ったのは、POD(プリントオンデマンド)という技術が普通に使えるようになったからです。出版社からすると、電子のデータだけでビジネスができます。計算してみると、ビジネスでやれそうだということがわかったので、今回Amazonと三省堂書店でPODをやらせていただいています。
特定の人のニーズはあるものの小部数なもの、こうしたものは多品種ですから、小部数多品種なものは電子の技術を使うことで可能になります。
●仲俣
いとうせいこうさんが「鼻に挟み撃ち」という小説を書いていますが、これはゴーゴリの「鼻」と、後藤明生という作家の「挟み撃ち」という小説からインスパイアされています。ところで、ゴーゴリの作品は青空文庫にあるし、後藤明生はいま電子書籍で全集が出ている。たとえば、これらが全部ひとつの電子書籍で読めるようにしたら面白いと思います。
そこまで行かなくとも、たとえば青空文庫のコンテンツを自由に編集して、「私の好きな青空文庫作品10選」のようなアンソロジーを作ってもいい。そうやって、電子書籍やWebのコンテンツを編集してパッケージにしていく。井芹さんたちのやっている「近代デジタルライブラリー」のPOD化も、そういう意味で注目しています。
●井芹
Amazon PODで購入した本の一番最後には、「Produced by Amazon Printed in Japan 乱丁落丁のお問い合わせはAmazonカスタマーサービスへ」と書いてあります。
奥付がある場合は、発行は出版社になりますが、印刷製本責任はAmazonになります。これは、Amazonの中のオンデマンドプリンターが動いて出荷しているからです。
ここもガラッとビジネスモデルが変わっています。出版社は、乱丁落丁の責任を負えなくなっています。負えるのは、デジタル版の責任までです。三省堂で買うと、「乱丁落丁のお問い合わせは三省堂書店」となります。
その辺が電子出版のいいところだと思っています。
いま仰ったのは、編成の部分だと思います。編集から編成にかなり移ってきているなという印象があります。HTMLをマイクロコンテンツと捉えて、それの順番とか重み付けとか集め方をソフトウエアでやっています。編集者とか編成者の領域をソフトウエアが崩しに来ているというのが冷静な見方だと思います。編成は、人間の方が勝っていますので、そう簡単に譲れないと思っています。
●高野
もう一度、話を読書と読者に戻しましょう。先ほどコミュニティとしての読者と、それを編集者のように使いながら意識して書くという話がありました。読書の単位についても、仲俣さんが紹介された先ほどの本では二つの小説とも一緒に読めればいいし、そうでないと本当の意味が伝わらないでしょう。一種、セルフコンテインドにする形として電子の仕掛けが使えるという話だと思います。
読書の権利の一部として、その本が本文中で参照している先についても情報が正しく取れるというのはすごく面白いと思います。参照している先のアクセス権も併せて得られる読書環境の提供を考えられたらいいと思います。
●仲俣
コンテンツをマイクロ化して数を増やし、「ちりも積もれば山となる」方式で売るのもありだし、高額書籍を少部数だけ売るのもありです。単行本の初版部数がかなり絞られてきているので、大半の本はそもそも少部数です。だから10とか100という単位は、書籍においては十分に意味を持つ。ニッチなテーマに興味を持ってくれる1,000人の読者に影響を与えることができたら、十分に仕事ができるジャンルはいくつもあります。コミュニティの単位が小さいことは、必ずしもネガティブな要因ではないんです。
●松山
読者層などは、愛読者カードがあって、それが返ってくれば分かります。基本的に数は分かりますが、その中の何十代の人が買っているかとか、端末は何を使っているかなどは分かりません。誰が買っているか分からないということは、誰に向けて作っていいのか、誰に書いてもらったらいいのかも分かりません。
●仲俣
数千部しか刷られてない本が、ブクログや読書メーターといった読者コミュニティで、100の単位で登録されていることがあります。出版社とプラットフォームの中間に、こうした読者コミュニティをベースにしたビジネスが新たにできる可能性があると思います。
●高野
今はまだあまり真剣に電子書籍を作っていないから気にならないのかもしれませんね。真剣ならば、読者について知ることは本当にクリティカルなので、ある特定の会社がその情報を抱え続けるという状況を解消して、マーケット全体で共有されていく形にする方が出版ビジネスの発展に寄与するでしょう。真剣に考え始めてもいい時期だと思います。
この辺で、会場とのディスカッションに移ろうと思います。どのような質問でも、どなたに対してでも結構です。
●会場
多品種少量がどんどん増えて、それでビジネス的にまかなえるようにして行こう。それを積み上げてメディア化していこうという、両方があると思います。その中で、PODがキーになってくると思っています。
井芹さんにお伺いしたいのですが。
「顧客を知るためのデータマネジメントプラットフォーム DMP入門」という本があったと思います。電子とPODと出ていて、生活者目線からすると高いなと思いました。
そのやり方というのはビジネス書としてうまく行ったのでしょうか。
電子と紙の比較でどちらがどのぐらい、どちらの方が売れたのか。こうした売り方が今後増えると思うかどうか。
●井芹
我々の値付けは、一般の書店に並べてる本を意識せず、400部でペイできる設計をしています。今の出版でオフセット印刷の流通モデルで、400部で設計するとうちの本より高くなると思います。
実際あの本は、早すぎるということでボツになっています。つまり、出せない。値段の問題ではなくて、出せるか出せないかのはっきりした線があります。通常の出版だと出せない企画が出せるというのが電子のいいところだと思っています。
紙と電子の比率は、ほぼ五分五分です。初期の頃は、紙が多かったのですが、電子版の比率は日々増えています。しかし、50%を抜き去って、60~70%になる感じはありません。紙の一定のニーズは底堅くあるという気がします。
「顧客を知るためのデータマネジメントプラットフォーム DMP入門」は単体で儲かりました。PODだけでも数千冊の出荷をしています。
一点一点の採算分岐点を越えた本は何タイトルもありますので、このモデルのビジネス有効性は検証できました。
●会場
紙の本で、パッケージにすることで確保したものは、かなり多数あると思います。一方で失ったものという認識はありますか。
●井芹
企画会議・営業会議をやるとボツになるわけですから、その分だけ失われています。本当にその企画はボツになるべきだったのかというと、誰も正当性はありません。ハードルが下げられていれば、もっと企画がいっぱい出た。それが出せなくなってしまったというのは明らかです。
製本限界や印刷コストからくる分量や、絵・音・グラフィックなど当たり前のマルチメディア表現も紙にする段階で無くすしかない。情報のタイプも影響を受けています。
出版機会が失われたというほうが大きいと思います。
●仲俣
ビジネス書をツールとして一種のコミュニティを作り、講演会をするというビジネスはすでに成り立ってます。これ自体は別に悪いことではなくて、できるならやれば誰でもいい。電子書籍やWebはコミュニケーションのツールにもなるが、いまは紙の媒体があったほうがコミュニティが作りやすい面がある。電子的なメディアだけでコミュニティができるのなら、その方が話が早いけれど、いまの電子書籍や電子雑誌は、まだそこまで行っていないと思います。
●井芹
近い事例があります。
最近は、コミュニティのあるところで本を出すというのがあります。発想を少し変えて、コミュニティでそこの人たちがコミュニケーションするためのものとして出版や書籍を位置づける。教育関係の約1,000人のコミュニティで、教育関係の本を電子とPODで出しました。約1,000部売れました。やはりちゃんとこれは機能します。
●仲俣
その場合、紙の本という「モノ」であることと、構造をもつコンテンツだということの、どちらが大きかったんでしょうか?
●井芹
物という部分は意外にあったのかなと思います。コミュニティと書籍メディアの親和性は、はっきりありました。
●高野
それは、影浦さんの議論にあった、紙の本によるコミュニケーションを経験していない、読む経験のない人に読むという行為を届ける一つのヒントかもしれないですね。
●高野
うまく話がまとまったので、そろそろこの辺でお開きにしたいと思います。熱心に議論していただいてありがとうございました。
【講演終わり】