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電子出版制作・流通協議会



News Letter Vol.007 電流協 新世代コンテンツメディア研究会セミナー

「電子書籍の新たな方向性について」

2012年03月02日 14:00-16:00
日本教育会館 7階 中会議室(701・702)

コーディネーター:
 高野明彦氏(国立情報学研究所)

パネラー:
 影浦峡氏(東京大学)
 沢辺均氏(ポット出版)
 井芹昌信氏(インプレスR&D)
 小城武彦氏(丸善CHIホールディングス)

●高野
 この研究会は、普通同じテーブルについたことの無いようなメンバーで、組織を代表せず、ざっくばらんに未来を語ったり、今抱えている問題を共有していく場として、これまで6回行ってきました。今日は、7回目のつもりで、メンバー以外の人も選んでみました。

●影浦
 今日は素人読者代表として来ています。

●沢辺
 ポット出版は、2年前から新刊は紙と同時に.bookで電子書籍をだしています。版元ドットコムとして、出版デジタル機構に関わっており、発起人に名前を連ねると思います。

●井芹
 雑誌「OnDeck」を約1年前にEPUBで創刊しました。主に、メディア社・編集者・ジャーナリストの立場で仕事をしています。

●小城
 突然呼ばれたメンバーです。書店・書籍流通を行っているグループで仕事をしています。本の流通と電子では「honto」を行っています。

●高野
 電子書籍は、紙の中に閉じこめられていた知識が、インターネットをはじめとするもっと違う世界に形を変えて染み出してくる大きい動きだと思います。
 電子化で、将来性・インパクト・伸ばしたいところを議論いただければと思います。

●影浦
 紙の出版状況は、タイトルが多くて部数が少なくなっています。電子書籍の離陸にはタイトルを増やせと言いますが、それだけでいいのか、構造的な問題としてあるのではないでしょうか。

●井芹
 書籍の点数が多くなって一点あたりの売上げが下がり、十数年間この状況が続いています。
 一番問題なのは、メディアの接触時間です。メディア白書(電通)でも、書籍と雑誌は下がり、ネットとスマートフォン(以前は携帯)が上がっています。これと、売上げはほぼ相関しています。デジタル側へ、出版コンテンツの流し込みがないと解消できないと思います。

●影浦
 従来型の紙の本をデジタルコンテンツ側に移すことでいいのか、新しいコンテンツを考えるべきなのか。

●井芹
 新しく増えた方がいいと思います。文字コンテンツの分量より、ネットの文字コンテンツの方が文字量では多い。必ずしも紙を電子化するのにとどまる必要はなく、新しい形でデジタル側から書籍や雑誌が作られていいと思います。

●沢辺
 情報の量が昔100としたら、200~300に増えた、受け取る側が1のままとしたら、受け取れる絶対量が減るのは当たり前です。タイトルが増え、一冊の売上げが下がる前提として、対処できる体制を考える以外にないと思います。

●影浦
 実際に本を作っているのは出版社で、自分たちが絶対量を増やしているのに、世の中の環境のように言うのは間違いです。大学も、なにを論文として書くべきじゃなかったかを考え始めています。

●沢辺
 違います。出版物だけではなくて、本に関わらず私たちの周りにはさまざまな情報が劇的に増えています。だから、本も絶対量としては占有できない。

●影浦
 そこは、そうだと思います。本のタイトルが増えて部数が減るのは別の問題です。グロスとしてのパイが減っている話と、その中でタイトルが増えて部数が減るのは全く別の問題です。点数が増えて部数が減ること自体は、出版社のコントロールの元にあるので、その二つは切り離して話すことができます。

●沢辺
 後者の方にお答えします。
 単行本も含めて、メディアの発信コストが劇的に下がっています。ものすごくセグメント化が行われ、いろんな好みの人がいる中でそれに特化したコンテンツがでるのは良いことで、必然的に発行タイトルが増え、一冊の売上げは下がる。こういう背景があるので、社会の動きがそうなっていると認識しています。

●高野
 メディアの発信コストが下がり、これまで出版社でないと立派な本を出せなかった。しかし、だんだん区別がなくなり、数として増え、規模として減るのは自然の流れです。電子版ならもっと安価に雑誌が出せます。
 では、出版されるとは何か。出版社は、出版に値するものを選んで出してきた。出版という行為の重さは、電子の時代に何か残さないといけないと思います。

●井芹
 Webの出版で、プロフェッショナルな情報や国の刊行物も発信されています。紙の主に書店流通を使ったビジネスの体系がある。本質的な違いは、出版という観点で変わらない保証をすることだと思います。
 Webは、誤植や誤報があったら後で修正する。代わりに、速報的利便性を持っています。
 出版物は、一度紙にして流通させると一文字たりとも変えられない。逆にいうと保証されています。原発問題のとき、Webは都合の悪いものが消え、出版物は残っている。出版が印刷で変えられないことが、別の何かを保証して、オーソライズド・出版・パブリッシュを担保していると思います。

●高野
 本屋が扱う情報の範囲を、出版されるものがあいまいになったとき、どこまでが書店・書店関連サービスとして扱うべき線引きはあるんでしょうか。

●小城
 お客様のニーズしだいです。
 電子書籍は、そこに一つの打開策が見えると思います。これまで、出版物に限定をしていますが、こだわる必要はありません。顧客との対話を通じて新しい線引きを考えたいと思います。

●影浦
 出版物は変えられないのは、電子になったら状況が変わってきます。電子出版に進出した出版のプロフェッショナリズムをどう担保するかという課題は、積極的に特徴づけないと残ってしまう問題と思います。

●高野
 出版が、今後も価値を持ち続けるとしたら、どういう行為であるべきか。どういう要件を満たしていると、価値を持ち続けることができるのか。  311の直後などは、Web上の情報の方が信用できて、マスコミの方が嘘だった。311以降のマスメディアなども入れた意味での出版、大きい意味での公的なパブリッシュがとんでもなく劣化していると感じます。
 パブリッシュの価値を再構築し、信用を回復するには、どういうことを気を付ける必要があるでしょうか。

●井芹
 電子出版も一度発行したら二度と変えない方が私はいいと思います。書物は引用によって関係性を取っていますので、引用箇所が無くなると困ります。発言や資料を外部からリンク参照するとき、その保証がなくなるのは、パブリッシュとして危うい。
 電子書籍に、ISBNを付番するかどうかも国際的にいろいろ論議があると思います。ISBNを付番すると、公的なちゃんとした書物であると一般的には認識されます。一度コードに紐付けられたコンテンツは変わるのはまずい。

●影浦
 情報と情報じゃないものの中でいろんなものが情報側に頼りすぎていると思います。
 書き換えたときにデリートの記録を残すのは、ある種人格と責任の一貫性です。近代社会を構成するために前提としていたものの基本です。本が、一貫性と固有性をどこまで担保してきたか、書き換えはいくらでも可能で、検索可能な情報とどう違うのか。それを、出版のプロフェッショナルリズムがどうやって担ってきたかはお聞きできればと思います。

●井芹
 発行人をやってきているので、奥付に名前が載ることの重さを実感してきました。その部分が、なんらかの出版というものを裏打ちしているのは間違いなく、Webで誰が書いたかわからないものと分けているのは非常に大きいと思います。その部分では、誇りを持ってやってきたつもりです。

●高野
 紙がメディアとして、ページを差し替えたものを用意するのは難しいという物理的な特性もありますが、運用上で国会図書館や、公共図書館・大学図書館など、それをすべて回収してこの世から消し去るのはできない。物理的なコピーが世界中にばらまかれてしまうことの安心感があったと思います。
 電子の場合、サーバやバックアップも消してしまえば、世の中からその情報を消し去ることができる。紙の、とりかえしのつかなさ・回収不可能性は電子出版で考えられているのでしょうか。
 社会的な意味で、パブリッシュされたものとされていないものの違いは、コピーが配られていて回収不可能というのもあると思いますが。

●沢辺
 あったと思いますが、それは電子でも残ってしまいます。逆にコピーが簡単ですから、誰かが取ってしまっていて、どこかに残っている。Webであろうが何だろうが、あまり変わらない。

●高野
 同一性保証が難しい世界なので、例えばGoogleのキャッシュから特定の言葉を消すことは、簡単にできる。Googleのキャッシュが本物だとみんなが勘違いすれば、世の中からある言葉を消すことができる。そういう怖さはあると思いますが。

●沢辺
 コピーが簡単にできるようになった以上、Googleが消しても、特定のジャンルだけ集中的に集めているマニアがいて、判ってしまうので、そんなに気にしなくてもいいと思います。
 紙の本でも、ページを差し替えは無理ではありません。奥付を剥がして、違うISBNにつけ変えれば取次に新刊として持っていける。コストがかかりますが、インチキな方法はいっぱいある。

●影浦
 今の高野さんと沢辺さんのお話は、少しレベルが違っていて、事実として変更可能かどうかという話と、社会的な合意事項として変更可能であると思われているかは大きく違います。Googleが変える・誰もが変えられる、これが真実だとマニアが言ったとき、その真実性自体が信じられない情報の流通と構成をしてしまうことに問題があると思います。

●高野
 コンテンツの価値を高めるにあたっての編集の役割。紙において編集が果たしてきた役割は、電子の時代でも同じものが通用するのか、それとも質が変わって新しい編集が必要になってくるのでしょうか。

●井芹
 メディアのタイプの問題で、印刷の書籍と電子書籍は媒体や構成要素が全然違います。紙の上にパターンを印刷する技術と、リフロー型で何かの図を見やすく配置する技術はそもそも違う。
 編集者もいろいろですが、一般的な意味での全体をコーディネートしている編集者の立場であれば、自分が出すメディアパッケージの媒体が変わった段階で編集は元から変わります。A4の雑誌と、モノクロの新書を、途中から切り替えられるのかと同じです。企画そのもの・製品の仕様なので、自ずとその影響を受けざるを得ないと思います。

●沢辺
 編集者がきちんと関与したからこの本ができたものも山ほどある。一方で、そうではない出版も山ほど見ています。右から左で、何の工夫もしないで出来上がるものもあります。学術系など、編集者が変に関与するよりも右から左の方がいい場合、さぼっている場合もあるので一律では語れないと思います。

●高野
 一律で語るのではなく、紙の本には編集がある程度の価値があった。同じような活動が電子の世界に行っても通用するのか、それとも違う種類の活動にも入れていかないといけないのかという話です。
 電子出版に変わったとき、今までの編集術だけで通用しないもの、もっといっぱい編集者が考えなければいけないものが出てくるのか。

●井芹
 自費出版など、著者が自ら書いているものがアメリカでも流行っています。そうしたものがどんどん出ることはウエルカムです。
 編集者の仕事は、著者との人間関係に非常にコストがかかります。著者のモチベーションを保てるようにガイドすることに一番の労力がかかっています。書いている時間がない人の頭の中にある、素晴らしいコンテンツを文字で取り出す作業です。そこが非常に大きくて、電子になっても変わらないと思います。

●影浦
 明らかに編集者と話して楽しい機会が少しずつ減っています。これは、編集者の側・こちらの側双方の問題、仕事が忙しくなって仕事のシステムの問題でもあると思います。内容を引き出す部分をどうやって引き継ぐかについては。

●井芹
 世の中全部で起きていることで、赤提灯インターフェイスみたいな場が無くなっています。情報が増えて、手間も増えて、なかなか濃密なものができにくい。ITで忙しくなったので、ITで解決するすべを持たないといけない。編集のある部分は方法論の電子化を行ってバランスを取らざるを得ないのかと思います。

●高野
 少し話題を変えて、電子になって紙の本での商品としてのパッケージが、電子になったが故に違う形。顧客の行動・利用者にあわせてパッケージを作ると思うので、そのあたりの違いを感じられますか。

●小城
 電子書籍の販売で思ったのは、ロングテールが売りにくいことです。画面の制約で、並べられる本の数が極めて少ない。結果、映画化やテレビで取り上げられたものが、極端に多く売れる。電子にあまりオーバーシュートしてしまうと、そこが犠牲になると思います。
 電子化が急に進むと、書店はかなり数が減ると思います。ベストセラーなり、世の中で話題になっている本への集約度がさらに高まってしまい、長期的には出版業界全体がシュリンクをする危険性を感じています。何とか、書店と電子・Eコマースも、ネットとリアルの現場を共存できるモデルを何とか作りたいと準備をしているところです。

●高野
 駅を降りると必ず本屋があるので、何となく雑誌を買う気が起きる。そういう価値、書店はあるだけでいい・売ってくれなくていいというのを定量化し、業界として盛り上げて行く、直営にして電子書店に変えていくなどの作戦はないんですか。

●小城
 リアル店舗は販促機能で、目に触れる場所です。残念ながらどの業種も、ショーケース化が進んでいます。本でもリアルな書店で見て、Amazonで注文する。家電量販店で見て、ネットで一番安いところを探す。このままでは販促機能全体が下がって、業界全体がシュリンクします。
 大型書店には、検索端末がありますが、現在の機能は検索して無ければ帰れという冷たいものです。発注ボタンやプリントオンデマンド、電子をダウンロードできるとか、そういうものすらない。かなりお客さんの需要を取り逃がしています。これらも同時に解決をしないと、本屋は減り、業界もシュリンクするので何とか防ぎたいと思います。

●沢辺
 人間だからネットでセックスすることは無理で、身体性があります。リアルな本屋さんに行って、本に出会うことはきわめて重要です。身体性から抜けられないところは、かなりロマンチズムだなと思います。本屋の数をこれ以上減らして、読者として我慢できるか、あるところで止まらないかなと感じています。

●井芹
 ロマンはよくわかるし、私もそうです。しかし、ビジネスというきわめて厳しい現実のなかで、オーバーシュートして書店が減るリスクもひしひしと感じています。毎年本屋が減り続けて、無くなったら困るけど止まらない現実があります。

●沢辺
 電子がリアル書店に果たせる役割としては、試し読みしてみて電子で買う、そこに行けば端末に入れられる、紙で欲しければ注文できることや、近所の美容室の雑誌の配達は街の本屋がもう一度取り戻すなど、ビジネス的なチャレンジは山ほどしなければいけないのは前提です。

●小城
 在庫が無ければ、入るまで電子で我慢してもらうのもあると思います。電子と紙は、二律背反ではなくて、家では紙で、移動中は電子も、やってみると便利です。トータルで、読書量をいかに増やすかというチャレンジはあきらめずにやります。

●沢辺
 そのときに出版社としてできることは、リアル書店で紙の本を買ってくれたら、プラス100円出したら電子を付けるといった環境を出版社側が一刻も早く作ることだと思います。

●影浦
 中抜きの話で、少し先走った話で大学の感覚として、「日本語抜き」があります。英語で論文も本も書くから日本語はいらない。日本語訳の本は、引用するとき面倒だし、高いからいらない。日本語の出版業界抜きで大学の研究生活は進んでいます。一般的なところまで広がるかは分かりませんが、311以降の情報流通は国内メディアがダメで海外メディアに頼っていたことも考えると、日本語抜きが進んでいるのではないか。ネットメディアで、流通が地域的な制約を超え、言語的な制約も超えてしまう。出版業界としては、どんな感じで捉えていますか。

●井芹
 少し感じていました。グローバル化と関係していると思いますが、マンガのコンテンツなどは日本語で皆さん読む。マンガが、日本語を背負っていて、世界中で日本語を勉強している事実があります。日本の出版も国際的に開いて、あるものは日本語のものが世界に流通するけど、技術面など英語で流通した方が利便性が高いものなどは直接英語が入って来てしまうのかなと思います。Webではずっと前からそうです。一流の方々は、英語のオリジナルのWebを見ているので、これが少しずつ増えていくのかなと思います。

●影浦
 オリジナルとしては日本のものであって、今後もマーケットとしてある程度のものを保つのは、自然に保たれるのでしょうか。それとも何か、メカニズムとして考えなきゃいけないものがあるんでしょうか。

●井芹
 自然には保たれないと思います。日本人とか日本とかよりも、日本語を残すことが重要だという声が結構あると聞いています。
 EPUBの縦書き問題・W3Cの縦書き問題も同様ですが、これに関しては非常にコミットメントが低い。国際的に縦書きを制定するときに日本全体がそこの重要性を考えなきゃいけなかった。そういうことに非常に弱いので、本当に守っていけるのか、正直心配です。

●小城
 日本語の問題として、これだけマイナー言語でこれだけ出版物がある国はそう多くないなと思います。マイナーな言語の国は、英語の書籍が山ほどあり、母国語があまりない。日本語はすごいと思いますが、今後どうやってこれを維持していくか、市場はシュリンクし、人口が減り日本語が読める人間が減って行きます。
 出版社・版元さんにお願いをしたいのは、守るのと自らのコンテンツを海外に打って出ることを併せて行って欲しい。ラッキーなことに、コミックが、諸外国で受け入れられています。もっと海外に打って出て、トータルでうまくビジネスをまわしていかないと、日本語での出版活動の維持は簡単ではないのではないかと心配です。

●沢辺
 出版社は、翻訳料などコスト的にできないと思います。マンガのように売れるから英語化することができる。自動翻訳以外に解決策は無いなというのが私の意見です。

●高野
 会場にいる植村八潮さんもメンバーなので、一言いかがですか。

●植村
 携帯から“ケータイ”になって、すごくおもしろいコンテンツ市場を作り上げ、全然違うメディアになったように、電子書籍も、そうならなければ市場は大きくならないはずです。
 メディアが進むときに、従来のメディアに依存しています。「俺が読みたい作家がない」と言っている間は、やはりそれを提供しなければなりません。それに応えるのが、出版デジタル機構です。
 100万冊ぐらい集めれば、いろんな人が来る、若い人が入ってくる。気がつくと全然違う新しいコンテンツのプラットフォームになったというのが理想です。

●高野
 100万冊電子化が進めば、それを電子版として売ること以上に、全国の書店で電子版を試し読みして紙の本をオーダーできる世界になります。Amazon的なロングテール商売が全国の本屋さんが拠点になって、そこに行くとコーヒーがタダで出てきて、延々と試し読みができて、帰りに申し訳ないから一冊ぐらい注文して帰るような文化的な拠点になるといいです。

●植村
 個人の意見として、全国の20坪程度の書店でも、すべてのメーカーの携帯電子書籍端末を持ち込んだら試し読み可能にする。書店は試し読みする場ですから、出版者だったら許可するはずです。100万冊試し読みができて、買おうと思ったらボタンを押せば買える、紙の本なら注文する。それには、みんながお金と知恵を出し合って標準化するしかない。

●高野
 そこで、ポチっとやって、Amazonから買おうが、hontoから買おうが、その本屋の紹介で行っているので、本屋にアフィリエイトを5%ぐらい落とすと、コーヒーをタダでだそうかなという気になります。そういう、フューチャーブックストアも……

●植村
 その先は、書店に競争して欲しい。共通基盤は、やりたいと思います。紀伊国屋さんなどはやってしまうかもしれないけど、みんなで共通に、もちろん世界中にスタンダードでやらないかと声をかけてもいいと思います。

●小城
 日本は家が狭いので、本の処分に困る人はいっぱいいると思います。電子があればいいか、と処分できるものもあるはず。日本人は本を処分するのが苦手な民族で、そこを電子が後押しすると、棚が空いてもう少し本も回ると思います。やや近視眼的ですが。

●井芹
 自炊のアンケートを採ったことがあって、やっている方が非常に多く、うちの読者の4割に至っています。理由の一番が、「家が狭い」です。棚に置けないが、もっと本は読みたい、それを解消する方法として自炊をしています。一冊買ったら、デジタル権を付ける・ダウンロードで付けてほしい・本はもういらないからデジタル化権だけ何らかの交換で付けるなどは、自炊している人の半分が希望しています。

●高野
 自炊よりも、オーサライズドコピーで安定して使える環境の方が、たぶん日本人の好みにはマッチしているでしょう。
 オーサライズドに交換する、電子リーダーを乗り換えるなど、本のことなら本屋に相談に行く。そういうことが総合サービスされるといいです。

●井芹
 そういう、クロスメディアサービスもリアルスペースで展開し、紙がいい人は紙で読むし、ポータビリティが欲しい人は電子でと、ユーザーが選べるような環境を提供すべきです。

●植村
 おもしろい電子書籍との出会いはリアルが作ると思います。イタリアの出版関係者と話したときに、書店の役割をすごく重視していて、作家と読者の間をつなぐ場だと考えています。
 私の作った棚・選んだ本があるから、そこの本屋によって本が売れていく。世の中に情報量が膨大になって、私たちの読書力が変わらないとしたら、編集が間に介在するべきです。書店のおやじが薦めるなど、自分なりの書店棚という演出がなければ売れていかないと思います。

●井芹
 本との出会いという問題が大きくて、コンピュータ的にいうとレコメンデーションです。書店は、棚の担当者さんの仕入れと、お客さんに説明することで、昔は「こういうのを探している」と言うと、これとこれと出してくれました。今は非常に少なくて、探してくれない買うだけならオンラインでいい。
 世の中に山ほどある書籍の中で、ある書籍を選んでいる・バイイングするセレクションと、それを陳列することはきわめて大事で、この能力の競い合いではないかと思う。

●小城
 少し異論があるんですが、レコメンデーションの統計処理で買い逃しはなくなりますが、自分の読む本が偏ってしまう。知の飛び地、不連続なものに出会うのはリアルの場しかない。これがないと人間の知の発展はそうとうやばいぐらいに思います。

●影浦
 どの本を読んだ方がいいかとか、知識の発展・知の発展とか、非常に情報と知識の問題だけに偏っています。
 映画評は楽しいけど、書評で楽しいのは読んだことがない。それは、気持ちよさで語っていないからだと思います。
 作品になにが必要かというと知識でもなんでもなくて、気持ちよさ・言葉であることのきらめきが内容と共にでてきているような気持ちよさがあるはずです。それをどうやって残すのか。もう一度、編集者の方から教えていただく機会が今後あればいいかなと思います。

●高野
 社会がどうしても目先の役に立つかたたないかで取捨選択する。知らず知らずにそういうところへドライブされているのかな。

【講演終わり】

【本文終了】